過去の企画展
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第25回 書初め、絵画、生活科、総合的な学習展
期間:2021年1月7日〜2021年1月17日
天童にゆかりのある人物、できごとなどを題材にして取り組んだ『書初め』、地域の神社仏閣、史跡などを題材にして取り組んだ『絵画』。近年、主体的な学びを進めるうえで重要視されている『生活科』、『総合的な学習』の作品を提供いただき、1月7日(木)~1月17日(日)まで作品展を開催します。市内9校の小学校、特別支援学校から作品が寄せられました。大変な状況の中で、制作に取り組んだ子どもたちの力のこもった作品の数々をご覧いただきたいと思います。なお、期間中に来館した子どもたちには、クイズと参加賞を用意しています。当歴史館にちなんだクイズですので、どうぞ親子で頭をひねってチャレンジいただければと思っております。多くの皆様のご来館をお待ちしております。 企画展の開始は1月7日(木)からとなります。作品を寄せてくださった方には、ご家族でご来館いただけるように、招待券をおとどけします。
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天童の古に迫るPart3 織田藩と天童
期間:2020年9月18日〜2020年12月13日
天童織田藩は、織田信長の次男信雄(のぶかつ)を祖とする織田藩の宗家です。信長は天下統一を目前にして天正10年(1582)6月2日本能寺の変で非業の死を遂げました。長男信忠も明智光秀に攻められ京都二条城で自害しました。その後秀吉が勢力を拡大する中で信雄との関係は悪化し、信雄は家康と結んで小牧・長久手の戦いを始めたのです。軍事力と経済力に勝る秀吉は終始優位に立ち、8か月後に信雄は屈服し家康も撤退を余儀なくされたのです。これが結果として、織田から豊臣への政権交代を決定づけた「天下分け目の戦い」となったのです。世は徳川の時代となり、大阪落城から2カ月後、家康から再び大名に取り立てられた信雄は、大和国宇陀郡(奈良県)3万石と上野国(群馬県)甘楽・多胡・碓氷の三郡2万石が与えられました。主要な領地は小幡藩(群馬県甘楽町)で四男信良に2万石を分け与え、隠居領であった宇陀郡3万石は5男高長が相続し、宇多松山藩を創設し、後に丹波柏原藩(兵庫県丹波市柏原)に移りました。これらの両藩は、幕末まで続いたのです。織田宗家を継ぐ小幡藩は8代信邦まで続きましたが、山県大弐事件の責を問われ、出羽国高畠に転封されたのでした。その後村山郡に多くの領地があったために陣屋を天童に構え、天童織田藩が成立したのです。このたびの展示では、織田藩の変遷を明らかにするとともに、天童に残された織田藩の事績を展示を通して明らかにしていきます。 この度の展示の見どころを紹介します。 〇 天童市美術館所蔵の『天童広重』と呼ばれる歌川広重の肉筆画 4点 〇 天童藩の危機を一身に背負って自刃した『吉田大八絶命の辞』1点 〇 織田家家紋入り『将棋野弁当箱』 〇 天童に伝わる織田信長肖像画3点 などなど、見どころ豊富です。
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天童の古に迫るPart2 『古道』
期間:2020年7月7日〜2020年9月6日
山形県東根市と宮城県仙台市を結ぶ物流・観光の動脈が、国道48号です。思い起こせば小学校低学年の頃(昭和30年代後半)、仙台市に住んでいた私は、母親の実家のある天童市に向かうために、たびたびこの動脈を利用していたのです。当時は今の高速化された国道とは様子が違い、関山越えの稜線付近が見えるくらいまでボンネットバスはエンジンをうならせ登っていくのでした。谷底には運転を誤って転落したと思われる自動車の車体などが放置されており、何とも恐ろしい思いをしたものです。 2年ほど前、天童郷土研究会のAさんから、関山の古道に関する研究のお話をうかがう機会をいただきました。Aさんのお話をうかがううちに、現在の国道48号に至るまでに、この街道が、歴史の変遷と深くかかわってきたことを知りました。 古くは、文明7年(1475)浄土真宗の僧であった願正坊が関山峠を越え、布教しながら天童市の高擶に至り、現在の『願行寺』を創建したこと。 天正12年(1584)最上義光との戦いに敗れ、伊達藩領に再起をかけて退いた天童頼久のたどった道筋が関山越えであったこと。 萬治3年(1660)峰渡りと称する峰越えの街道が、伊達藩により開かれたこと。 慶応4年(1868)天童織田藩が庄内藩との戦いで館内を焼かれ、藩主主従が難を逃れるためにとった経路が関山越えであったこと。 以上のように、天童の歴史の変遷と関山街道には深いかかわりがあります。このたび研究家の皆様のご指導をいただきながら、企画展として立ち上げるものです。
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天童の古(いにしえ)に迫るPart1 -はなかみ先生とその素顔-
期間:2020年4月18日〜2020年6月21日
「はなかみ先生」と呼ばれた高橋英雄は、明治10年(1877)8月、山形県東村山郡天童町(田鶴町)に生まれました。父は高橋正玄、母はたかで、高橋家の三男として誕生したのです。父の正玄は、天童藩医正庵の二男で、母たかは、天童の氏族蒔田友衛の二女でした。 天童小学校を卒業してから、英雄は、明治25年に仙台の幼年学校に入学しましたが、軍人の道を選ばず、いつしか横浜にいました。郵便局に勤めたのち、外国文化の玄関口である横浜で外国文化にあこがれを持ったのでしょうか、日本からアメリカ行きの貨物船にもぐりこんだのです。 時に英雄は21歳。あこがれのアメリカの地に着いた英雄は、ホテルの皿洗いから農作業の手伝い、土木工事にと、様々な職業を経験し、いつしか体力やお金にも余裕が出てきて、好きなギターや、絵の具などを買って、音楽や絵画を楽しむこともできるようになってきました。 そんな英雄が故郷の土を踏んだのは大正11年4月、46歳の時でした。アメリカの文化を体験した英雄は、日本の子供たちが、鼻の下に二本の筋を作っても平気で鼻汁を垂らしているのを見て、はなをかむ習慣を子どもたちに伝え始めたのです。そしていつしか、『はなかみ先生』と呼ばれるようになりました。このたびは、英雄の功績や遺品、絵画や書の作品から、その素顔に迫ってみます。
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第25回 天童の雛飾り展
期間:2020年2月7日〜2020年3月22日
今から約400年ほど前、山形城主だった最上義光は、最上川の難所と言われた碁点(ごてん)、隼(はやぶさ)、三ヶノ瀬(みかのせ)などを改修しました。河岸の要所には船着き場が整備され、問屋や船宿、舟番所などが設けられました。天童の近くでは、谷地、長崎、蔵増、羽入、船町、寺津などが栄えました。上方(京都、大阪)へは、米や特産物の紅花、青苧、漆、蝋、胡麻などが運ばれました。帰り船に載せられた下り荷としては、干し物、塩、小間物、人形、せとものなどが多かったということです。 その頃天童には、近江商人が進出していて、広く商いをしていたようです。その商人を通じて上方人形が入ってきたのです。 天童の時代雛の特徴は、古いもので京都の元禄雛、比較的旧家に多く残る京都の享保雛があります。江戸時代の後期に江戸で創られた古今雛が出回ってから、表情や衣装の華やかなこの古今雛が天童でも好まれたようです。
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書初め・絵画・総合的な学習展
期間:2020年1月4日〜2020年1月19日
主に、天童市内の小学生と中学生が学習した作品を展示します。郷土の人物名の書初め・神社を対象とした絵画と、自分が暮らす地域のことを調べた生活科や総合的な学習の成果など、ふるさと自慢が満載の学習作品を展示します。今年は、初めて村山特別支援学校天童校の子どもさんが作品を寄せてくださいました。また、天童市に実家のある、東根市在住の小学校3年生のお友達も書初め作品を寄せてくださいました。たくさんの皆様に、子どもたちの学習成果を見ていただきたいと思っています。
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天童の起源に迫るPart3「歌姫、佐藤千夜子の世界」今も多くのファンに愛される千夜子展、盛況のうちに閉幕いたしました。
期間:2019年9月18日〜2019年12月15日
佐藤千夜子は天童出身で、日本で初めて本格的なレコード歌手として、数々の名曲を残しています。千夜子が世に送り出したレコード盤や遺品などをご覧いただくと共に、蓄音機から流れる歌声を聴きながら、当時を偲んでみたいと思います。11月17日(日)には、在りし日の千夜子を偲んで『佐藤千夜子杯歌謡祭』が開催されました。会場は、天童温泉 ほほえみの宿 滝の湯です。この歌謡祭がファイナルを迎えたのは寂しいことですね。ここまで支えてくださった実行委員長はじめ、大会役員の皆様に敬意を表すると共に、末永く千夜子の功績を後世に伝えていかなければと思ったところです。この機会にぜひ千夜子の歌声に耳を傾けてみませんか。
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天童の起源に迫るPart2「化石が語る」-天童の成り立ち
期間:2019年7月2日〜2019年9月8日
天童市で発見された化石を中心にして展示を試みます。また県内で発見された貴重な化石も展示します。化石は物言わぬ時代の生き証人とも言われます。様々な化石から、今につながる土地や河川の成り立ちに迫ってみます。市内の地層から発見された植物化石から、いったいどのような気候を想像しますか。旧朝日村で発見された四本牙のゾウは、私たちにいったい何を語りかけてくれるのでしょう。立谷川では、埋没林が露出し、壮大な年月の経過を私たちに示してくれます。
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天童の起源に迫るPart1「写真機は語る」-いま甦る菊池新学の技
期間:2019年4月16日〜2019年6月16日
天童市出身の菊池新学は、東北で初めて写真館を構えた写真家です。当時の県令、三島通庸により御用写真家に任ぜられ、県(郡)庁、警察署、学校、随道工事など、数々の作品を残し、写真技術の発展に寄与しました。このたびは、山形市照井写真館(館主照井與泰氏)のご厚意により、全国でも現存するのが2台と言われている全紙版写真機を展示しています。また、上山清光院(湯上氏)のご厚意により、菊池新学撮影の写真データをお借りすることができました。新学の作品に関心のある方や写真の歴史に関心のある方は、ぜひお見逃しなく!!