期間:2025年7月5日〜2025年9月15日
若松寺の山号について、寺伝によると「行基菩薩は元明天皇の勅命を受け、東国巡錫の旅に出た。最上の地(現在の山形地方)を通った時、東の山の方から鈴の音のような音が聞こえたので山の方へ進んだところ、山の霧の中に観音像が浮かんだ。菩薩はここに登山し、観音像を刻み、礼拝を重ね観音像を安置した。後に山容が鈴の形をしていることから鈴立山とした。」と伝えられています。観音堂の安置は和銅元(708)年と伝えられ、今から1300年以上前の飛鳥時代となります。
平安時代に入り、立石寺が慈覚大師により開山された前後に大師は観音堂を参詣した折、余に勾配の強い参拝道のため、現在の観音堂に移設しました。その後、弘法大師の護摩一千座奉修があり、現在の奥の院の弁財天供養が行われ、法華八講の法楽の施行、如法堂(現本坊)の整備が進み法相宗から天台宗に改宗され、境内の整備、門前の坊の成立などの歴史を刻んできています。
このような長い歴史を刻んできた鈴立山若松寺には多くの人がそれぞれの思いを胸に参詣してきました。平安時代後期から鎌倉時代初期に製作された「聖観音菩薩坐像鏡像」、室町時代(1554年)に鋳造された「阿弥陀如来坐像」、人々の雨乞いの対象となったユニークな形状を持つ「俱利伽羅不動明王像」など人々の思いや願いを受け止めてきた仏像が多数現存しています。また、室町時代から江戸時代にかけて納められた12枚の納札に、そして、江戸時代から現代にかけて納められた絵馬にも人々の思いや願いが表れています。
今回の企画展では、一山寺院より貴重な品をお借りし展示し、1300年にわたり私たちの思いや願いを受け止めてきた若松寺についての理解をあらためて深めていただいたり、参詣した方々の思いに心を馳せていただいたりしながら、若松寺と私たちのくらしとのつながりを考えていく機会としたいと考えます。