施設紹介
旧東村山郡役所資料館
―天童織田の里歴史館―
明治11年(1,878年)7月22日、『郡区町村編成法』という法律ができ、山形県が11の郡に分けられました。東村山郡には、天童をはじめ98の村々が含まれていました。この場所には東村山郡役所が、明治12年10月に建設され、11月16日に開庁式が行われました。
いま目にすることのできる美しい建物は、昭和60年に再建され、明治12年当時と同じように、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスなど美しい姿を取り戻し、昭和61年に、資料館として生まれ変わりました。昭和47年9月4日、山形県有形文化財の指定を受けています。
当館では、より身近な施設として利用していただくために、また市民の皆様のご要望もあり、通称の募集を行いました。令和の新しい時を迎えた2019年5月11日、お寄せいただいた百編を超える通称の中から「天童織田の里歴史館」が選ばれました。
明治天皇行在所
明治14年9月、明治天皇は、東北地方二度目の巡幸の折、秋田県を経て山形県に入られました。
天童に入られた際、東村山郡役所で昼食休憩を取られました。それを記念した石碑が、敷地の中央に建立されています。また、その当時用意された衣冠、沓、椅子、食器などが常設展示されています。
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第一展示室
本能寺の変で非業の死を遂げた織田信長の宗家を継ぐことになったのは、次男信雄 (のぶかつ) でした。信雄の嫡男信良が小幡織田藩を継ぎ、甘楽郡などを150年間支配しました。その後、信浮が9代藩主となり、出羽の国高畠に移封されました。領地の大部分が村山郡内となったため、11代信美の時に天童に陣屋を移すことになり、天童織田藩が誕生しました。その天童織田藩関係資料を中心に展示しています。
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第二展示室
東北地方に入ってきた新政府軍を先導する役目を、天童藩が担うことになりました。東北列藩同盟との板挟みの中で、天童藩の命運を握り、わが身を挺して行動した吉田大八の遺品などを展示しています。
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第三展示室
東北最初の写真館を開設した『菊地新学』の作品や当時の写真機などを展示しています。初代県令三島通庸の命を受け、御用写真師として活躍した足跡がたどれます。
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第四展示室
企画展会場。
企画展につきましては、「企画展」のページでご確認ください。
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第五展示室
明治天皇の東北巡幸の際、天童で昼食休憩をされた時の準備物等の展示を中心に、本市出身で明治大学の創設者の一人であり、当時の法律学の中心人物である宮城浩蔵に関係する資料や明治期の天童に関係する資料等を展示しています。
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学習室・館内廊下
学習室:天童出身の偉人の写真が一覧できるコーナーです。時期により企画展や体験コーナー、ミニ企画展等の会場となります。
館内廊下:明治維新後の行政区の移り変わり、学校の成り立ち等をパネルに展示してあります。